26日土曜日は恩師の退職記念パーティーでした。
パーティーの前には最終講義があり、大勢の卒業生や学生で大きい教室も小さく見えました。
私が着席した席は懐かしい(別のゼミの)教授の横で、終了後にお話もでき運が好かったです。
恩師の講義・・
変わらず、ぐいぐいと皆を引き込んでいきます。
素敵な先生だなぁと、お話とお人柄にただただ敬服しながら聴いていました。
パーティーまでの間の時間は、旧友を見つけることが出来ずに一人喫茶店へ。
・・・こういうところ・・連絡をとったり約束をしておかないところ・・が
行き当たりばったりで、私らしいといえばそうなのですが、
せっかく皆に20数年ぶりに会えるという限られた大事な時間なのに。。
要領の悪さをちょっぴり残念に思いました。すべて自分の責任。。
パーティの最中も、
先生は皆に次々と囲まれてお疲れだろうなぁとか、
私は今日は遠くから拝見させていただくだけでも、、と、
本当は先生の近くに行きたいのに行かなかったり、ツーショットの写真もなんだか恥ずかしくて、
他の方が撮っているのに遠巻きに見ているだけだったり・・・
後から考えるとことごとく素直じゃなくて。。
写真も撮ったり、お話もさせていただいたら良かったと、
今更のように悔やんでいます。
忘れ物のように...後から気付いてもその時は分からなかったのです。。
なんて残念な。
一度きりのパーティーなのに。。
今思うと、色々と我慢しすぎて。。泣きそう。。
いらぬ気を回さずに、もっと素直になったら良かった。
先生は、代表の方々の挨拶に何度もでてきたように、
在校時代も卒業後も、ゼミ生に関わり続けてくださる、とても教え子思いの先生です。
こんなに皆のことを支え導いてくださっていたのかと、驚くくらいで、
皆の感謝の言葉が絶えず先生を取り巻いていました。
「先生、ちゃんとお伝えできませんでしたが、
先生に出会えて、先生のもとで学ばせていただけたことにとても感謝しております。
そして、何年経っても、温かく見守ってくださっていて、ありがとうございます。
これからもずっとずっとお元気で、素敵な先生のままでいてくださいね。」
ここにしたためても先生には届かないけれど、
伝えられなかった気持ちをなんとか言葉にしました。
パーティーやその後のお茶会が終わり皆と別れてから、
なんか淋しくて。。。
一つの時代が終わる時、卒業や、終了、
またいつ会えるのか分からない方達とのお別れ、
そんな時は、そう言えばいつもこんな風に切なくて、
いつも心の切り替えがうまくいかなくて、立ち止まってしまいます。
日曜日に自宅に戻り、月曜の昨日は、そんな気持ちをピアノに受け止めてもらっていました。
先生に伝えられなかったこと。先生や皆とまた離れ離れになって淋しいことを。。
もう・・いい年のいい(?)大人なのに、ちゃんと区切りをつけて前を向いて歩かねば恥ずかしいですね。
こんな気持ちに合う写真がなくて。
初詣にいった時に見た夕日と桜の枝のシルエット。
またこの陽は東から昇って西へ向かう。何年も何年も。悠久のいとなみ。
~此中に真意有り、弁ぜんと欲して 已に言を忘る~ 陶淵明 飲酒 其五より
日々の生活は前を向いて新しい扉を開けながら進んでいきます。
なかなか前へ進まないけれど、こんな私であることを お許しください。